ルーマニアの祭りは「節分」か「なまはげ」か

ルーマニアでは年末に熊の毛皮をまとった人々が街を練り歩く、らしい。

朝に『突撃!カネオくん』の再放送でやってた。いろんな国の「クセつよ年越し」を紹介するコーナーだった。ルーマニアの熊、本物の毛皮だけあってかなりリアル(ここに写真もある)でも中身は子どもだったりしてかわいい。

しかしふと思った。この熊祭り、ルーマニアにとってどれくらいの規模なんだろう。

番組をぼんやり見ていると「ルーマニアの年末恒例行事!」みたいに思っちゃう。でも実は一部の地域の祭りなのかもしれない。日本で例えるなら節分の鬼クラスなのかなまはげクラスなのかでだいぶ印象が違うだろう。

裏を返せば、日本の地域の行事も「日本の恒例行事!」として海外で紹介されている可能性もある。そこでは日本全国になまはげが登場していることになっているかもしれない。

日本全国の各家庭になまはげを送り込むには、十分なリソースを確保せねばならないだろう。その実現には巨大ななまはげグループが必要不可欠だ。その組織構造はヒラのなまはげ2万人が支える始まるピラミッド構造になっていて、頂点に真っ黒のなまはげがいる。真っ黒のなまはげは誰もその姿を見たことがない。しかし組織に逆らうと「悪い子がいたね」と夜中に電話がくるとかこないとか。

そんなことを考えていたら、次の「クセつよ年越し」はオランダ。冬の海で寒中水泳をするのが恒例行事だという。

これも一部の地域の行事かも…と思ったらオランダ全土で200万人が参加するらしい。あまりの寒さに救急隊が駆けつける事態もあるとのこと。大丈夫かオランダ。寒い子はいねが。

知り合いかもしれないとInstagramが言う

「Instagramを利用している○○はあなたの知り合いかもしれません」という通知がちょくちょくくる。

でも確認すると全然知らない人ばかりなのだ。今日通知が来たのはコスメアカウントだった。毎日化粧品やネイルをアップしている。知り合いだとしても全く手がかりがないし、僕のインスタは路線図の写真ばかりアップしているので全く関連性がない。

いや、どちらも「色がいっぱいある」でしょうってことかな?整ったのかな?

そんな謎かけのノリで通知しないでほしいのだけど、もしかしたら本当に僕の知り合いの可能性だってある。ビッグデータがそうささやいているのかもしれない。でも覚えがない。

…忘れているのか?

思えば人の名前と顔を覚えるのが苦手だ。たとえ覚えていても「間違っていたら」と思うと本人に言う自信がない。それなのに向こうが僕の顔を覚えていることが多々ある。「井上さんですよね!」と言われてうろたえることがある。非対称だ。どういうことなんだ。

Instagramの「知り合いかもしれません」が、忘れているだけで本当に知り合いだったらどうしよう。ちゃんと確認しておきたい。でも 「僕と知り合いですか?」と聞くのも、知り合いだったら失礼だし、知り合いじゃなかったら「は?」だ。

逆に「久しぶり!」と接するのはどうか。向こうに「知り合いかも…?」と思わせるのだ。堂々と振る舞ったらいい。久しぶり!そのコスメ素敵だね。ところで誰だっけ?

そんな振る舞いをしたところでこっちは路線図の写真ばかりアップしているのだ。コスメの方には意味が分からないだろう。どちらも「線を引きます」ってことかなと思ってくれるかどうか。

まだ視力検査は「右」と言わせている

眼科に行く。2021年最初の診察日だったが、思ったより人がまばらだった。みんな目も休めただろうか。

今日は検査のために瞳が開く目薬をした。看護師さんに目薬をさされ20分くらいかけて徐々に視界がぼやけていき、最終的にプールからあがったばかりの視界になった。面白くもあり、ちょっと怖い。このまま視界が戻らなかったらずっとプール上がりの視界だ。全身がびちょびちょのまま生活する姿が浮かぶ(検査は異常なく、視界もやがて戻った)

それにしても、どれだけテクノロジーが発達しても視力検査は人に「右」と言わせているな、と思う。

目に数秒あててピピピと鳴ったら小さなディスプレイに「0.8」と出る、小さな機械がそろそろ発明されたっていい。でもそんなこともなく、視力検査は計られる人の主観にずっと任されている。適当に言った「右」がうっかり当たることもある。身長を適当に「178cmです」と言ったって認められることはないのに。

いつまでも主観に任されているということは、それなりに理由があるのだろう。目がカメラのレンズだとするならば、レンズは正常なのにセンサー(神経)に異常がある場合もあるだろうし、レンズもセンサーも正常なのにIC(脳)が像を結ばないことだってあるのだろう。

僕らが見ている景色は僕らにしかわからない。主観に任せたままの視力検査がそれを証明している。機械でピピピとわかる日が来たら、それは意識を外から観察できる日が来たときだろう。考えてることがわかっちゃう。それはそれで代償も大きい気がする。

今日は「右」と言ったあと「右〜?」って聞いてくる看護師さんだった。ヒントだ!ラッキー!と、「……上」と言い直したら「下です」という正解発表だった。浮かれた自分が恥ずかしい。でも「ヒントだ!」と浮かれた意識が外から観察されてなくてよかった。

年賀状が6枚戻ってきた

郵便受けをのぞいてびっくりした。

仙台から、熊本から、埼玉から、続々と年賀状が戻ってきている。住所に尋ねあたらないらしい。そんなにみんなそろって引っ越したのか。全然教えてくれないじゃないか。これがニューノーマルってやつ?と思ったら僕がおととしの住所録で年賀状を作っていただけだった。ひどい。

6枚の年賀状を並べて肩を落とす。いっそもう1枚戻ってきて、7枚揃ってほしい。その瞬間辺りは暗くなり、 7枚の年賀状が光り輝いたかと思うと、龍が立ち上るのだ。ひとつだけ願いを叶えるという龍に、年賀状を正しい住所に送り届けてほしいと願うんだ。「どれを?」龍が聞く。どれを…? マジか1枚しか送ってくれないのか。願いはひとつだけだからな。ちょっと待ってね、誰にしようか、遠くの人に送ったほうがいいのかな。いやこの人のほうがしばらく会ってないから…。

「ちょっと待ったぞ」

願いを叶えた龍が消える。7枚の年賀状が残される。僕の筆跡で「お元気ですか?」と書いてある。全く元気ではない。あけましておめでとうが届かない。住所録を最新にしてくださいってお願いすればよかった。

4回と6回

目薬に追われた年末年始だった。

2020年12月の年末進行真っただ中のこと。なんだか目を開けるのがツラくなって、年末ギリギリに眼科に駆け込んだら、ドライアイと診断された。「乾いた目(ドライアイ)」となんだかジョジョのスタンドっぽい。それになったという。

症状と治療について眼科医は丁寧に説明してくれて(そのせいで待合室はいつもごった返しているのだけど)、目薬を2つ処方してくれた。1つはヒアルロン酸が入っているといい、もう1つは元々胃薬だったのだけど胃の粘膜に効くなら目にも効くのではと目薬になったやつ、と教えてくれた。肌に良いやつと、胃に良いやつを目にさすことになる。そんなことがあるのか。

で、前者は1日6回、後者は1日4回さしてくださいと言われた。

これがどうしても気になる。1日にだいたい16~18時間くらい活動すると考えれば、前者は3時間ごとに、後者は4時間ごとにさせばいいだろう。スタートを7時とするとこんなスケジュールだ。

①7時、10時、13時、16時、19時、22時
②7時、11時、15時、19時

忙しすぎる。お昼どきはずっと目薬してないかこれは。

しかも年末年始で規則正しい生活などできやしないのだ。深夜まで面白いテレビはあるし、正月はお昼からお酒を飲んじゃうし。人のいないタイミングを計って近所に初詣にも行ったり、息子にスマブラでボコボコにされたりするうちに、さっき①の目薬さしたっけ?ってなる。

もうだいたい勘でやるしかない。その結果、6日間処方された目薬は5日経ってもまだ2日分余っている。やっちゃってる。やっちゃってるなこれは。あーあ。

「一年の計は元旦にあり」というけど、こんなイレギュラーな状態で「一年の計」もなにもあったものではない。でも年は明ける。キャラバンは進む。乾いた目を潤ませて跡を追う。みなさまあけましておめでとうございます。