頭上注意

電車に乗ってたら、足元に「頭上にご注意ください」というシールが貼ってあるのを見つけた。

「頭上注意」って目の高さに書いてあるイメージである。だいぶ低い。注意喚起にしては控えめな性格。俺が俺がじゃない。

一瞬そう思ったのだけど、貼ってある場所をよく見て考え直した。

頭上注意シールの下にあるのがコンセントで、上にあるのがドリンクホルダーである。

これはもしかして、コンセントを挿すためにしゃがむ→挿さる→元の姿勢に戻ろうとする→ドリンクホルダーに頭をぶつける、という流れの注意ではないか。

そんなうっかりパターンまで心配してくれるのか。

でもここ、座席と座席のあいだが狭いので、ちょっと手を伸ばせばコンセントに届く。床に這いつくばるくらいの気持ちじゃないと頭は入らない。あれかな、子どもが入ることを心配しているのかな。それだとコンセント関係なくすべてのドリンクホルダーに注意喚起しないといけなくなっちゃうな……。

そこまで気にかけてくれてありがとう。でも僕、もう大丈夫だから。ひとりでやっていけるから。お盆に実家に帰れなくてごめんね。

また電話するね。

マジック

千円札を一万円札にするマジックがある。

マジシャンが千円札を取り出して、それを小さく小さく畳んで広げていくと、一万円札になっていたりする。夢がある。ドリーム。一生そうやって暮らしたい。

しかし、逆に一万円札を千円札に変えるマジックって、あんまり見た記憶がない。

千円札と一万円札にするのも、一万円札を千円札にするのも、紙から紙だ。どちらも労力としては同じはずである。やってできないことはないだろう。

でも、マジシャンが意気揚々と一万円札を取り出して、小さく小さく畳んで広げて、千円札に変えてしまったらどうだろう。観客の第一声としては「あー」ではないだろうか。

だって、一万円札を千円札にしたことがあるもの。

あるときはギャンブルで、あるときは飲み会で、あるときは公共料金の支払いで。気がついたら財布の中の一万円札が千円札に変わっている。知ってる。わざわざマジックで見せてもらわなくてもいい。

でもそのマジシャンは、さらに千円札を小さく小さく畳んで広げて、まいばすけっとのレシートと小銭にしてしまう。

それも知ってる。

桑田佳祐のいないサザンオールスターズ

今朝の『ラヴィット!』に藤岡藤巻が出ていた。

「藤岡藤巻と大橋のぞみ」の藤岡藤巻である。オープニングの流れで若槻千夏が「崖の上のポニョ」を歌うことになり、サプライズでご本人登場……となったのだが、大橋のぞみちゃんは既に芸能界を引退しているので、藤岡藤巻の2人が来たのだった。

といっても、おじさん2人である。MCの川島さんが「大橋のぞみちゃん無しでポニョを歌うことはあるんですか?」と聞くと、藤岡藤巻(のどっちか)は「桑田佳祐のいないサザンオールスターズみたいなもので……」と言う。

「そうですよね」と返すのも失礼だし、「そんなことないですよ!」と返すのもなんだか不自然だしで、スタジオは一瞬だけ変な空気になっていた。これぞ生放送の醍醐味である。

しかし、では誰だったら良かったのだろう。

「桜井和寿のいないミスチル」ではサザンの例えと同じことになるし、「ikuraのいないYOASOBI」だとそれはただのAyaseだ。「和田まんじゅうのいないネルソンズ」だろうか。藤岡藤巻が神妙な顔で「和田まんじゅうのいないネルソンズみたいなもので……」と言ったら普通に面白いし、「大橋のぞみちゃんは和田まんじゅうなんかい!」「まんまるお腹だけども!」ってツッコむ隙もある。これだ。

ちなみに今調べたら、藤岡藤巻は「藤岡藤巻TV」というYouTubeチャンネルを持っており、本人によるカラオケ映像もあった。

大橋のぞみちゃんパートになるとちゃんと無言になる藤岡藤巻。

桑田佳祐がいないサザンオールスターズもこうなるのだろうか。

精霊馬

地元にはキュウリで馬を作ったりする文化はなかったと思うのだ。お盆の風景としてよく語られる「精霊馬」。そういうのがあるんだな、というのは知っていたけど、子どものころ見た記憶がない。見たら絶対覚えていると思うもの。「キュウリで馬を……!?」ってなるはずだし。

聞くところによると、キュウリの馬(精霊馬)はご先祖さまが「早く来る」ために乗るもので、ナスの牛(精霊牛)はご先祖さまが「ゆっくり帰る」ために乗るものらしい。

でも、ゆっくり帰るのってダルくないだろうか。東京から大阪に仕事で行って、「帰りはこだまを取りました」って言われたら君はどう思うかね。速い乗りものにしたほうが現地に長くいれるし、家に早くつけるし、いいことしかない。帰りも馬に乗せたあげたらどうだろう。

というか、馬や牛に1人で乗せるということは、ご先祖さまが馬や牛をコントロールしないといけない。言うことを聞かない馬や牛もいるだろう。ゼルダの伝説のリンクだって暴れ馬をホゥホゥってあやすくらいである。旅先からの帰りなんて「寝てたら家に着く」のが最高なのに、ずっと牛のご機嫌をうかがうのは大変だ。これはキュウリで新幹線を作るのが最適解だろうか。

いや、そもそもなぜ乗りものに乗るのか。乗りものに「早い」「遅い」があるということは、あの世にも移動時間の概念があるということだ。物理的な肉体を離れ、なお時間に縛られるなんてつらい。「エイッ」って念じたらワープするぐらいの世であってほしい。それともゴボウでどこでもドアを作るべきか。

だったら大根でガリバートンネルを作ったり、ジャガイモでムード盛り上げ楽団とか作ったりするのも楽しそう。ちっちゃくなったご先祖さまがご機嫌でやってくる。

それはそれでいいか。

縄ばしご

昨日『ザワつく!金曜日』で、石原良純が縄ばしごの話をしていた。

縄ばしごは登り方にコツがあり、それを知らないと満足に登ることができないらしい。『西部警察』を撮影しているとき、湖に落ちた良純にヘリから縄ばしごが垂れさがる……というシーンがあったが、殺陣師が事前にコツを教えてくれなかったせいで登れなかったとボヤいていた。

そんなコツは初耳である。というか、そういえば縄ばしご自体登ったことがないような。困ったことがないことは無関心……そんな態度は良くないので一度登ってみたいけど、どこに行ったら登れるんだろう。ヘリもないし。

というか、あの「縄ばしごを垂らしたヘリ」は最終的にどうなるんだろう。

縄ばしごにぶら下がる人がヘリまでたどり着いて、縄ばしごを回収するのが一番美しいはず。でも、登り切った場面って見たことない。たいてい、あのヘリは縄ばしごを垂らしたままどこかに行ってしまう。「あばよ~とっつぁ~ん」とか言って。

あのままだと縄ばしごはめちゃくちゃ揺れるだろう。グルングルン回っちゃうかもしれない。吐いちゃう。じゃあれだ、縄ばしごをもっと長くしたらいいのかな。先っちょが地面にちょっとついてて、カサササ……って擦ってるくらいだったらそんなに揺れないんじゃないか。でも木に引っかかってビーン!ってなるか。

やっぱり一旦ちゃんと着陸したほうがいい。縄ばしごを投げて済まそうなんて安易な考えはダメだ。じゃぁ湖に落ちた良純はどうする? ビショビショで助けを待つ良純は? 良純1人を犠牲にして、ヘリの中の5人を助けるのか?

ここから先は正義について考える時間です。

審査員

先日、高校生を対象としたダンスコンテストを見に行った。ダンスの甲子園である。そう言うと我々世代はついつい「LLブラザーズ」とか「メロリンQ」とか「どすこい同好会」とか思い浮かべてしまう。もう一生こうなのだろう。

それはそれとして、コンテストの冒頭には審査員を紹介する時間があった。審査員には数々の実績を持つダンサーたちがおり、司会の人が「○○年に~~で優勝、その後渡米し、○○や△△でバックダンサーを務め、帰国後は~~スクールを開校し……」みたいな感じでプロフィールを読み上げる。しかし、審査員には主催元である新聞社の人もいて、そっちは「○○新聞社△△事業部の××さんです」で終わるのだ。

不公平ではないか。

新聞社に勤める人にだって、これまで人生いろいろあっただろう。就職活動は大変だったろうし、新人時代はトイレで泣いたこともあったろうし、プロジェクトが成功してうまい酒を飲んだこともあるだろう。ひょっとしたら転勤や出張で渡米したこともあるかもしれない。

社会人にもストーリーがあることを高校生に知ってもらいたい。でもあんまり社会のことを知りすぎると踊りにくいだろうか。「トイレで泣くんだ……」って思いながら踊ることになっちゃうだろうか。「好きなお菓子はかりんとう」くらいに留めたほうがいいだろうか。

でも「○○新聞社△△事業部の××さん、好きなお菓子はかりんとうです」って紹介するのどうなんだ。「かりんとう……」って思いながら踊ることになる。じゃぁダンサーの人もプロフィールの最後は「好きなお菓子」にしよう。「帰国後はスクールを開校、好きなお菓子は歌舞伎揚です」だ。

プロフィールの最後を好きなお菓子で決まり。新たなプロトコルの誕生である。

森保監督はほいけんたに似ている

ワールドカップが盛り上がっている。

特に日本戦はいつもながら盛り上がっており、好成績を残していることもあってテレビでは連日取り上げられている。中継があれば渋谷の街の様子をうかがい、あーこれは大変盛り上がってますねという感じになる。

ここまで平熱の文章が続いていることでお分かりだと思うのだけど、自分はサッカーに関しては特に思い入れがない感じである。代表メンバーが誰か全然わからないし、「森保監督ってほいけんたに似てるな」と思っていたりする(目の小ささとか)。

というわけで、この盛り上がりについてもあまり乗れていない。スクランブル交差点の喧騒はもちろんのこと、「日本人の誇りです!」みたいな街頭インタビューにも「その”日本人”に勝手に入れられても」と思ったりする。

そんな感じで一時期は冷ややかな目をしていたのだけど、最近「この盛り上がりに一緒にノれることっていいことなんだろうな」と思えるようになってきた。

きっかけはどうあれ、大きな声で感情を爆発させて自分を解放させられる機会があるのは、感情を溜め込むことよりも、よほど健康的だろう。サッカーに詳しくても、にわかでも、それは変わらないだろう。なんならサッカーじゃなくたってよくて、他のスポーツでも、音楽フェスでも、お笑いライブでもいいだろう。

そう考えると、あの一喜一憂がとても羨ましく思えてくる。自分には感情を爆発させられる機会ってあったかな。みんなにはあるのかな。

ただくれぐれも深夜はお静かに。

みんな手酌でみんないい

集まってお酒を飲むこともすっかりなくなってしまった。飲み会は遠い思い出の彼方に。そこで思い出すのは、グラスセンサーを持つ人のことだ。

人のグラスが空になると、すぐにお酒を注ぐ人がいる。僕なんかは本当にぼんやりお酒を飲んでおり、誰がどれくらいお酒を飲んでいるのかなんて全く気にしないのだけど(それで若いころは上司に怒られたりしたけど)。

でも世の中には、センサーでもついてるのかなというくらいのスピードで「注ぎましょうか」と瓶ビールを掲げる人がいるのだ。上下関係とかない、フラットな場だとしても。そういうマナーのもとで育てられたのだろうけど、誰かのグラスを常に視界に入れながら飲むのは大変だろうなぁと思う。

というか、このマナー自体「俺のグラスが空になったのに気づかないのか」という昭和の臭いをうっすらと感じる。良くない。グッバイ昭和。みんな手酌でみんないい。そんな世の中を目指そうではないか。日本手酌党の旗揚げである。

日本手酌党は誰かのお酒の進み具合を気にしない。「飲まないんですか?」と聞かないし、ましてや飲むことを強制しない。自分のお酒のことは自分でやり、ビール瓶の中身がなくなったらみんなの分を頼む。自助と公助の両立である。

しかし、コロナ禍で飲み会の数は激減。日本手酌党は活動の場(笑笑など)を失い、すわ解散かと思われたが、ステイホームにより手酌人口は一気に急増。若年層から高齢者まで幅広く党員を確保し、次の国政選挙に向け地盤を着実に固めるのであった。なんの話でしたっけ。

3時間アトラクション

人間ドックを受けてきた。

健康診断の類はフリーランスなので全部自費なのだけど、健保の補助もあるし、なにより何か見つかるなら早いほうがいい。それが家族のためでもあるのだ…と強い決意でバリウムを飲んだのだった。

いま勢いでバリウムの話をしたけど、胃のX線検査はラストに用意されていた。採血、身長体重、心電図、超音波検査などもろもろこなしたあと、バリウムを飲んで身体をぐるぐる回される。まさにフィナーレにふさわしいアトラクションである。

すっかり体力を消耗し、バリウムを出すための下剤を飲み、人間ドックはおしまい。結果を医師から聞くことになっているのだが、それは3時間後なので、それまで外に出てまた来てくださいと言われる。はーい、と素直に従うものの、施設を出てふと気がついた。

下剤を飲んだ状態で3時間街をぶらつく……?

 

こんなスリリングなことがあるだろうか。いつなんどき下剤が発動するかわからない。どこかのお店でお茶を飲んでるときに発動しても、その店のトイレが空いている保証はない。まして歩いている最中とかどうなってしまうのか。

いつタイムリミットがくるのかわからない街ブラ。膨らみ続ける風船をパスしていって割れた人が負け、みたいなゲームを一人でやってるみたいなスリル。

ハラハラしながら、なにかと店舗が多かろう横浜駅方面に向かい、結論から言うと駅ビルでことなきを得た。危なかった。ここまでがフィナーレのアトラクションに含まれていたのかもしれない。

「ガニメデで待機後、金星にお越しください」

日本科学未来館に行ってきた。お台場は曇り、午後から雨。

行く前に息子と、「科学館といえばガラスの球の中でピンクの電気がビリビリしてて手を近づけるとビリビリ!ってなるやつあるよね」と科学館あるあるで盛り上がっていたが、あのピンクのビリビリはなかった。

なんというか、いわゆる「科学館」のイメージとはまた違う、「科学が未来に何をすることができるのか」という可能性と、「このままでは未来はどうなってしまうのか」という警鐘と、「未来は君たちに託されている」という子どもたちへのメッセージを端々に感じる展示たちだった。未来を真剣に考えている人がいることを心強く思う。

未来はモヤがかかっていて、その姿ははっきりとわからない。でも「わからなかったことがわかる」とき、ほんの一部だけそのモヤが晴れる。

晴れた部分が何の役に立つのか、すぐには分からないかもしれない。でも少しずつ晴れの部分が増えていけば、今やれるべきことがわかるだろう。それが科学の役割のひとつなのだろう。

日本科学未来館の7階には展望ラウンジがあり、お台場の景色がよく見えた。同じフロアにはカンファレンスルームがあって、会議室には惑星、控室には衛星の名前がついているのがカッコよかった。

「ガニメデで待機後、金星にお越しください」って言われてみたい。